校則と多様性とかいうもののお話

「父がニューヨーク出身・卒業式にコーンロウにして出席・2階席に隔離→差別ではないか?」

ちょっと前に、こんな話がネットでありました。
毎度のお話だなー、と思って(ツーブロックのお話とかありましたよね・「放言(流行りのツーブロックについて)」で書いてます)、特に何か書くつもりもなかったのですが、、、下の記事がよくて、、、ちょっと書いておきます。

兵庫・コーンロウ問題で茂木健一郎氏は「クソみたいな教師」「恥を知れ」…筑波大教授が指摘する“問題の本質”とは(全文) | デイリー新潮
“ブラック校則”という造語が脚光を浴びるなど、近年、校則に対する関心が急速に高まっている。…

根本的なこととして

卒業式の前日に「コーンロウ」にすることはダメではないです。
卒業式に「自分のルーツである服装・髪型」で出席することはダメではないです。
ただ、もともとその髪型(服装)をしていなかったのに、当日急にやってきて「ルーツだから」というのはどうなんだろーなー、という意見は多いだろうと思うわけです。

学校には校則というルールがあって、それを守ることは大事なわけです。
もちろん、最近ではちょっと時代に即していない校則が残っていたりして、、、その辺りにも問題があって、、、、今回の問題が複雑になる原因でもあるわけです。

根本的に今回のお話は「ルールは守ろう」って話なんだと思っています。

ルールと多様性

「自分のルーツの髪型だ」→「それを認めないのは多様性を認めないことになる」という論理性は間違ってないと思います。同時に「学校のルールに従えない」→「参加することができない」も論理的に間違っていないと思います。

ただ、先程の記事に、、、

《最近のSDGsや生物多様性に関する議論はどうも極端で、情報の一部を切り取って報じたり、みかけの平等や正義を声高に主張する意見が多く、そのことがかえって意見の多様性やバランスの取れた価値観を阻害しないか危機感をもっています》

筑波大学教授(災害・地域精神医学) 太刀川弘和氏
「兵庫・コーンロウ問題で茂木健一郎氏は「クソみたいな教師」「恥を知れ」…筑波大教授が指摘する“問題の本質”とは」デイリー新潮webより

という意見が書いてあって、、、、確かに、と思うわけです。
一部の話だけではわからないこと多いし、、、多様性の話に持ちこんでるけど、根本的に「多様性を認める前に、関係性ができているのか」という話のような気がしているのです。

ただ、どちらも「極端で切り取ったお話」になっているように思うんですよね。
もっと言えば「この話に自分のルーツと多様性を持ちこんで話をするのか?」という気がしてます。

教師を擁護する気もないですし、茂木健一郎氏のように「クソみたいな教師」と罵る気もありません。
保護者・本人が「私達にとってはこれが正しい(正義)、だから受け入れろ」ということは「その日、その場、その瞬間」だけで判断できることでは無いだろうと思います。
長い学校生活で「保護者・本人と学校・教師」の間の関係性がこの結果を導き出した、と私は考えています。

ここまでどういう生徒指導をされてきたのか、どういった話が積み上がっていたのか、ルーツについて・多様性についてどこまで保護者から要望があったのか→学校がどういった対応をしてきていたのか、、、、それがわからないと短絡的に何とも言えませんが、私なら、OKを出すかもしれないなー、、、と思ってます。ただし、それまでの関係性によっては「絶対にダメ」と言うかもしれません。

『みかけの平等や正義を声高に主張する意見』という言葉が示すような状況があったのか、あるのか、でちゃんと判断したいなー、と思うのです。
全員参加させることが「平等」なのか、自分のルーツを見せることが「正義(正しい)」と言えるのか、その状況に合わせ冷静に・客観的に考える必要あるなー、と思ってます。

個人的な意見

もー、中学校とか高校の校則は無しでいいんじゃないかな、と思うんです。

服装も自由(当たり前ですね)、髪型も自由(当たり前ですね)。好きな格好・化粧でOK。
それをお互い認めることができるよーな空間にしていく、、、のが「多様性」ってやつの最終目標の一つだと思うんですよね。

校則が無い→「法律」がルールです。
ケンカしたら傷害罪。
イジメも警察に通報。
生徒間でトラブルがあったら「それぞれで話し合い」、学校はできるだけ介入しない。
状況によってはそれぞれから民事で訴えてもらって、、、と書くと反対意見が増えそうですが、それが今、我々が生きてる世界の当たり前、だと思います。
そんなに訴えないし、それぞれ話しして、解決していってますよね?それを学ばせる意味も含め「校則は無し・法律通りで!」ってのは有りだと思うんですけど、、、ダメですかね(笑)。

制服とか髪型とか給食とか、校則ができた理由の大半が「貧しい児童生徒が差別されないように」ということだったかと思います。もちろん今でもそういった部分があると思いますが「貧しい児童生徒が差別されない方法」は制服・髪型・給食といった校則で縛らなくてもある、、、というか多様性を認めるってのが、まさにそれだろう、と思うわけで、、、。

そんなわけで、、、、。
そろそろ、校則を見直す時期に入ってるんだろう、と思っているんです。

今回の件は「多様性というワードを使っているだけ」に見えていて、それは『みかけの平等や正義を声高に主張する意見』でしかないかな、と思っていて、、、その辺りをちゃんと判断する意味でも、校則を見直して「多様性を認める」(=今回の件を単純に認める、ではなく、本人が自分のルーツを思い・長い時間をかけてでもコーンロウを認めてもらえるよう周囲と話をするような、、「認める」)ことをしてほしいなー、と思っています。

まとまらず、終わりm(_ _)m

塾・家庭教師のご案内。

面談+無料体験授業からのスタートしています。

保護者の方からのご相談も随時受け付けております。
お気軽に連絡くださいm(_ _)m。

友だち追加
  • お電話 050−5318−8393
    よりご連絡ください。よろしくお願いします。

札幌の塾BASEホームページ
札幌の家庭教師屋さんホームページ

この記事を書いた人
すぎやま

札幌の家庭教師屋さん・家庭教師がつくる塾BASEの人
名古屋出身・富山大学卒・富山で小学校講師・北海道で公立高校教員・家庭教師をしていたら塾ができていました。

すぎやまをフォローする
教育
シェアする
すぎやまをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました