夏休みの宿題・必要?不必要?

夏休みの宿題・必要?不必要?

こんな話題が出ていました。

この記事に対して多々意見がありました。

夏休みに宿題をさせるよりも「自分の好きなことを追求させたほうが良いんじゃないか?」という意見と「好きなことさせるのは良いんだけど、ゲーム(遊び)ばっかりになっちゃったら困るよなー」という意見が多かったように思います。

根本的に、どーでも良い議論をしてるなあと思うのですが、、、、。
こういった場合「子どもの将来を考えて」という話になりがちですが、ちょっと違う視点をば。

そもそも、何故に宿題が必要?

Q.なんで宿題ってあるんですか?
A.内容が定着(覚えてる/できるようになっている)しているか確認するために「すぐその場」ではなく「ちょっと後で」やることが大事だからです。

記憶する(覚える)のは「3」の付く時間で確認すると良いと言います。30分後・3時間後・3日後・3ヶ月後と一般的に言われています。ですので、宿題は「3時間後」(その日の学校が終わった後3時間ってことです)のターンで確認したいわけです。

毎日の授業の中で「宿題」が出ることには意味も裏付けもあります。もちろん小テスト(3日後とか)や定期テスト(3ヶ月〜4ヶ月ごとですよね?)の時期にも意味があるわけです。そういった意味で「宿題が必要である」=「覚える仕組みの一部として必要である」というのは理解してもらえるかと思います。

では「長期の休みに宿題を出す意味」は何でしょう?

一つは「学習習慣の維持」です。

学校に通っている限り「毎日5〜6時間、勉強する生活をしている」のですが、夏休みになるとそれが「限りなく0に近くなる」わけです。
それは、今の学校の授業の形(一斉授業)を続けるのに必要な「座って授業を聞いてノートを取る」というチカラが減っていくのです。その結果よくいう「休み明けで落ち着きが無い」というやつになるわけですね。

もう一つは「普段出来ない復習をさせたい」のです。

同じ内容でもある程度まで進んだあと(長期休暇)に「系統だって覚えることができる」ことがあるのは大人になるとよくわかると思います。そういった形での「知識のまとめ」をする時間が授業の中では取りづらいから「長期の休みに宿題を出す」という現実があるように思います。

私はこの2点から長期休業に「宿題」を出しているんだろうなー、と思っています。

別の視点から宿題を考えてみる

義務教育という視点

義務教育は「保護者が教育を受けさせる義務がある」ところからそう名付けられています。
保護者(や大人)が教育を受けさせる義務を負っているのは「北海道(日本でも可)という地域を維持するために必要な人材を作ることが必要」だからです(そんなこと考えなくても勝手に育つ、という考えもあるんですが、ココでは触れないでスルー・別の機会に書きたいと思います)。
つまり「この地域(国)で生きていくために必要な能力を身に着けさせる教育」が義務教育です。それを「身につけさせる事が保護者の義務」です(子どもの義務ではないです)。

、、ということは、
宿題をして「知識として必要な事を身に着けさせる必要がある」と捉えるのか、宿題なんかさせずに「自分のしたいことをやらせる事で必要な力を身に着けさせる」のか、、、考えるのは「大人(特に保護者)」の役割です。

宿題無くても大丈夫 / 宿題ないと困る という保護者

つまり、私が言いたいのは、、、

どちらが良いとか悪いという話ではなく「どっちでもいーから、しっかりした考えがある?」という話です。

意図・意志があって「宿題が無くていいです。/宿題が無いと困ります。」というお話をしてくれる限り、教育的に問題はないと思います。

ところが、そうばっかりではないですよね、、、。
困るのは「宿題?あー、やらなくても大丈夫じゃないの?自分のことだから自分で考えたら?」というヤツです。

そういった場合、どうすればいいでしょう?そういった状況の児童・生徒はどうするのが一番適当なんでしょうか?

だから、宿題が出る

長期休みの宿題はおそらく上の「やらなくても大丈夫じゃね?」な考えの親(「義務教育」=「この地域(国)で生きていくために必要な能力を身に着けさせる教育」を意識していない親)までを想定しています。
その上で、『「何もしない状態」が最も悪い状況である(必要な知識が身につかなくなる為)、それを避けるには「宿題を出しておくべきだ」という考え方』で宿題が出ています。

この先、もう少し踏み込んで、、、「やってもいいし、やらなくてもいい」という選択的な宿題になるといいのかもしれません(その分、教員の準備の負担が大きくなるのは間違いないでしょうけれど(笑))。

しかし、長期休業の宿題はおそらくなくなりません。「復習」が今の授業時間・授業形態の中で取ることが難しいのです、みなさまご存知の通り。
「復習の時間」を「長期の休み」に組み込まなければ成り立たないわけです。と、いうわけでこの先大きく授業のやり方が変わらない限りなくなることはないでしょう

長期の休みの宿題 あり/なし ではなく、、、

つまるところ「夏休みの宿題の問題点」は、宿題をしっかりやらせるか、ゆっくり休ませるか、自分の好きなことをやらせようか、、、という事ではないのです。「学校の授業のやり方・授業の時間数」が変わらないことには宿題をなくすとリスク(義務教育のレベルが維持できない)があるから「出さないといけない」という考えもあるわけです。

、、、で、反転授業とか協働学習とかアクティブラーニングとか、、、色々新しい学習方法(笑)が学校に提示されたり、土曜日授業を始めてみたり、、、という今の教育の流れがある、と考えています。

この先を考えると、、、遠くない未来に、塾や家庭教師(や動画の授業)が『学校と同等の教育機関』と認められるようになっていく、、、と私は結構本気で思っています(ホームティーチャーやホームスクールの亜種の様になるのでは?と考えています)。

そうなれば「宿題」とか「長期の休み」という捉え方自体が過去のものになりますし、「宿題をやる/やらない」という議論が如何に馬鹿馬鹿しかったかがわかるんだろうと思っています。

個別に、、、個人個人に合わせてやるべきことが違う、というのは学校現場でも考えられていますが「一斉授業」や「30人学級」をしている限りその中で落ちこぼれてしまうことは必ずあります(人数いれば順位が付き、その上下で一喜一憂するのは当然でしょう)。ですが、「順位」や「一斉授業」といった考え方になじまない(そういったやり方が苦手)な生徒は一定数以上居ます

現在、「そういった生徒さん」を教える、、、ことをしています。
もしよろしければお話を聞かせて頂けませんか?
よろしくお願いします。

この記事を書いた人
すぎやま

札幌の家庭教師屋さん・家庭教師がつくる塾BASEの人
名古屋出身・富山大学卒・富山で小学校講師・北海道で公立高校教員・家庭教師をしていたら塾ができていました。

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