お話会での質問から

先日(2023年5月14日)、富山県南砺市の光教寺で「発達障害と教育」というお話をしてきました。
その最後に質疑応答をしたところ、今は中学校教師をしている大学時代の友人から「僕からしてみると、卑怯だなーって思っちゃうところがあってさ」という質問がありまして(笑)。

私もいつも気になっていたところだった&お話の裏テーマの一つだったので、書いておこうと思います。

どんな質問だった?

質問の続きは、「1対1で教えることができるなら、その子にあった教育ができるのはわかるんだ。でも学校でそーするのは難しいわけでさ。だから、学校でできる何か方法ってないのかなーって思って。」というものでした。

そうなんです、私(たち)のやり方は卑怯なんです(笑)。
1対1であればできることが格段に増えるわけで、、、手が止まればわからなくなったかな?とわかりますし、進む速さで意欲もわかるでしょう、もっと細かな状況、精神的な状況もみることが十分可能になるので、、、。
中学校で教えている友人からすれば「卑怯だ」と言いたくなるやり方だったわけです(笑)。この友人、大学時代に一緒に不登校系のお手伝いしたりしていたんで、実は私がしているようなことは「興味がある」のは間違いない、、、はず(笑)。

答えたこと

「まずは、『見ること』はできると思うんです。見ておくべき生徒はすでにわかっていて、手元だけ・体の動きだけを見るんだったらできるんじゃないかと。」
見たあと、どこまでやれるかは別として『観察する』ことは大事かな、と思っているんです。

35人以上の生徒が居て、全ての生徒を1対1で見ることは不可能に近いわけです(先生が10人くらいで対応するならできそうですね(笑))。であれば、まずは「見て」状況を把握して、、、どこかで使えるデータを集めておくことが大事かな、、、という返答なわけです。

「ただ、それ以上にもっと、、、塾とかに『外注』することはできないのかな?と思っているんです。生徒さんごとの学習の状況を、外部の塾とかと共有して、塾での状況を学校に、、、ということはできないのかなー、って思っちゃうんです。できないのはわかってるんだけどさー。」と、いう返答もしました。

小学校、中学校で「できないこと」はあるわけで、、、。
例えば「生徒一人ひとりにあった授業をする」ことはできないわけです。
というか、学校というものは「たくさんの人間を(できるだけ)効率よく成長させる」ことを意図して作られているわけです。
そーじゃなく、個々に合わせてやるなら「少人数」ないし「一人ずつ」の方がいいのは太古の昔からわかっていることですよね。
つまり、学校という時点で「一人ずつに完全に合わせて進めていく」ことは無いわけです。
じゃ、個別でやってくれる塾に学校できないサポートをお願いして「その子に合わせた進め方」を塾でしてもらう+学校でできているかを確認する、という方法論はだめなのか、、、ということを考えているわけです。

反転授業を外注してやる、というイメージでしょうか(笑)
もしくは、昔の逆、、、学校が教える→塾で確認・定着・レベルアップ、の逆をする、というイメージですね。

学校と「家庭」でできれば一番楽なんだろーなー、と思います(し、学校という制度は家庭がある程度教育を担うことを前提になってしまっているよーな気がしています)。が、現実的に、お家で「授業するくらい教える」ことができる人は少ないですし、「授業する時間」が無いご家庭の方が多いだろうことは言うまでも無いわけで、、、。

そういう意味で「外注」が必要なんじゃないかなー、と思っています。

学校という枠組み

もしくは「公教育という枠組み」でもいいのですが。
教育ってのは、その中で「全てできる・全てやる」という方法が今まで取られてきました。
その結果、小学校での英語・プログラミング・運動/芸術(部活動)・特別支援教育・発達障害教育・情操教育・道徳、、、、全てを教えることができる教員が必要になりました。
「一人で全部する必要はない」と思いがちですが、クラスの中に「特別支援」や「発達障害」を持つ生徒が居るのは普通の状況ですし、部活動を何か教えるのは当然のようですし、プログラミング教育は全ての教員ができる必要があると文科省が言ってますし、、、結果、ほぼ全てをできる必要があるわけで、、、あ、小学校の先生だと英語も教えれると良いとされているので全部ですね。

根本的に、教員(担任)がするべき仕事の量がとんでもなく増えていて、それを他の教員が手伝えないことが多く、、、結果「まともに授業の準備ができない」とか「生徒をしっかり見ることができない」といった事が起きているわけで、、、。

解決方法としては「先生を増やす」が一番ですが、、、無理ですね。ちょっと前に「教員採用の倍率が下がってる」って話を書いてるくらいな状況です、先生は簡単に増えてくれる感じはありません。

「だから、どーするか」という時期が来てる気がする

学校が大変、先生が大変、、、という話は、わかってると思うんです。
「じゃ、どーしたらいいか」というフェーズに入ったと思ってます。もっと言えば「ボランティア的にご家庭が手伝う」のではなく「お金を出して・専門家をつかって」学校内の仕事・先生が大変になっているところ、を手伝う人を連れてくる必要がある、と考えているんです。

その中で、おそらく「一番の聖域」になっている「教える部分」を学校が手放す、、、、というか「外部と連携して教えていく」という事ができれば、ホントに「学校が改革された・教育改革が起きた」と言えるんだろうなー、と思っていて、、、、。まあ、文科省どころか、学校の先生達が嫌がるだろうなー、とも思うわけです。

学校が外部と連携、、、塾とかクラブ(運動を教えてるとこ)といった学校で教えていることに直結するところと連携するようになると、多分「先生の教え方」や「学校のするべきこと」が変わってくるような気がするのは、、、私だけですかね(笑)。

学校は「知識を与える場」だと思っています。ただ、日本の学校は「人間関係を学ぶ場」としての側面が強いように思います(集団生活を学ぶ、と言い換えてもいいかもしれません)。
担任の制度だったり、クラスという集団を作ったり、、、「社会を学ぶ」部分は学校にしかできないと思いますし、、、理科実験のような「場所が必要な学習」は学校の方が得意な分野かな、と思います。ですが、「ひたすら計算練習をさせる」とか「英単語50問テスト」とか「年号の暗記」といったことは学校でなく、ご家庭だったり、塾とかでも十分できる分野だと思うわけです(これの延長線に「受験勉強の一部」が含まれている、と考えています)。で、あれば外注して「得意分野に注力する」ことも大事なんじゃないかなー、、、というのが私がここ数年考えていることです。

まとめ

教育なお話、、、色々書きたいことがあるのですが「あまりにも過激すぎて」書けない内容が多いです(笑)。
曰く「学校なくして塾でいいんじゃない?」とか「塾で作文教える意味あるのか?」とか「実験しない理科の授業は意味あるのか?」とか、、、「高校に行く意味が無い場合の選択肢は?」とか。

今回は、友人の質問が面白かったので(そして、私も同感なので)ちょっとだけ書きました。
また、その内、過激じゃなく書けそうな内容になったら書く予定でいますm(_ _)m

まとまらず、おわり。

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この記事を書いた人
すぎやま

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名古屋出身・富山大学卒・富山で小学校講師・北海道で公立高校教員・家庭教師をしていたら塾ができていました。

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