発達障害の診断を受けない理由、というお話。

発達障害というやつは「診断」に時間がかかることですっかり有名になってきていますが、、、。
今回はそういう話ではなく、、、。

鳥居みゆきが発達障害の診断を受けない理由「何かしら診断名がつくのはわかってるけど…」 « 女子SPA!
Eテレで放送中の子ども向け番組『でこぼこポン!』(Eテレ)への出演を契機に、児童発達支援士、発達障害コミュニケーションサポーターの資格を取得した鳥居みゆきさん。同番組は公式サイトで「発達が気になる子…

鳥居みゆきさんのインタビュー、前中後編の「後編」です。どの回も面白いのでオススメですが、、、。
どーも、私は人が悪いので「そうではない」という読み方をしてしまうよーで、、、ちょっとだけ「問題提起」ですm(_ _)m。

発達障害の診断がいらない理由、というインタビュー。


――ご自身で、発達障害などについて診断を受けてみようとは思ったことはありますか?
鳥居:私が病院に行ったら何かしら診断がされることは分かってるんですけど、もし「こういう発達障害でした」と発表したら「鳥居って変だな」って言われなくなっちゃう。「発達障害だからイジるなよ!」となると思うから、私は診断はいらないです。自分の中で折り合いをつけて病院に行きたくないなら行かない、行きたいなら行くという風に考えられたらいいなと思います。

女子Spa『鳥居みゆきが発達障害の診断を受けない理由「何かしら診断名がつくのはわかってるけど…」』より 

確かに「行きたくないならいかない、行きたいなら行く」と考えれるといいなーと思います。そういう選択の形があることが「発達障害」の理解につながりやすいだろう、、、とも思うんです。

ただ、変なところで引っかかってるんですよね、、、。

発達障害の診断

診断は非常に難しいと聞きます。生育歴や今の状況、何に困っているか、、、等、色々なことを見た上で、早くて2ヶ月、だいたい6ヶ月〜1年くらいで「診断が出る」ようで、、、
そんな簡単に診断が出るわけじゃない」ってのが一つ。

最近よく学校現場(や学習の場面で)「発達障害っぽい生徒」「発達障害のグレー」という表現や話は聞くわけです。これ、診断受けているわけじゃなく「専門的に教えている人たち」だったり「本人」が、こういう症状ある・こういう状況だからきっと「発達障害だろう」という判断をしているよーで(自己判断を元に「支援して欲しい」なんて話があって、、、困ってるわけです、教育現場としては)。

そんな簡単に診断できるわけじゃない(=医者じゃなきゃ診断できない)」ってのが一つ。

、、、そんな状況にあるのが「発達障害の診断を受ける」という事象だと思っています。

で、インタビューのお話。
「なんらかの診断がつくと思う」「私は診断はいらない」、が並んだときに、、、私の頭の中が「?」となったわけで、、、。
えーっと、、、「診断がつくかどうか」は専門的な人(鳥居みゆきさんは児童発達支援士や発達障害コミュニケーションサポーターの資格を持っていらっしゃいます)であっても「わからないこと」お医者さんが診断することであって、専門的な知識があっても診断できない、、、と考えています、私は。

→ 自己判断で「診断が付くだろう」でも仕事に差し支えがあるから「診断は要らない」
確かに、要らないんだろうなーと思うわけです。
ちょっと嫌な表現ですが「収入を得ることができているから、診断は必要ない」という捉え方もできるわけです(障害があっても診断無くても良いという方向がある、とも捉えられますが、、、さて?)。

で、私が気になってるのは、、ホントに「診断は必要ないのか?」というお話でして。

発達障害 の診断は必要ない、、のか?

最近私はちょっとした病気になりまして、ちゃんと診断つくよーなものに。
で、考えたわけです、、、「診断は必要ない、薬だけください」とか「診断は必要ない、自分で判断したから」っていいのかなー、、って。

風邪くらいだとありますね「あー、風邪だ。風邪薬飲みましょう」ってやつ。
発達障害はそれと同等の扱いでいいんでしょうか?

骨折したけど(自己判断)、治療は要らない、、、とはならないと思うわけです(怪我→診断→治療、もしくは怪我→診断→勘違い(笑))。
盲腸が痛いけど、治療は要らない、とはなりにくいだろうな、と思うわけです(病気→診断→治療、もしくは病気→診断→病気じゃない)。
発達障害だけど、治療も何もいらない、、、となっているわけです(病気・症状→自己判断→何もしない)。

、、、病気の状況を放っておくのはよくないなー、と。

とはいえ「発達障害」って診断までに時間かかる&診断が難しい、というお話もあって、、、なかなか難しいんだろうな、と思っています。
ただ、大前提として「私は発達障害です・診断は受けてないけど」は「私余命3年です。診断受けてないけど」と論理の型は同じなわけで、、、その理屈は「良くない」と私は考えています(病院に行け、というお話ではないですよ)。

「私は要らない」の違和感。

えーっと、何となく言いたいこと伝わっているでしょうか?
発達障害にまつわる状況がわかってくると、「私は要らない」と言われると違和感があるのです。
しかも診断されて「どーしましょうか?」ではなく、「自己判断」で「症状があるだろう」とふわっと理解しているくらいで「私は要らない」、、、。

「私、ガンなんだよね、自己判断だけど。でも私病院要らないと思ってるんだよね」
、、、病気が重いものになると、途端に変な感じがします。

で、、、、

発達障害も、自己判断ではなく診断をしてもらうことを当然にしたい

発達障害に関して「自分の判断でなんとかするのをやめにする」って方向にしたいなー、と思っています。

10年ほど、家庭教師・塾で発達障害がある(+発達障害があるであろう)生徒をみてきていますが「発達障害だと思ったら、別の症状・病気だった」ということにも遭遇しています。その場合「早めに病院で治療することで大きく改善」するんだそうで、、、。
素人には発達障害に見えるけれど実は「強迫神経症」だったり「双極性障害」だったり、、、その他色々な病気の「一つの症状」の事があるわけです。、、、診断受けない、ってのは別の病気を見逃してしまう、って可能性があるわけで。よくないなーと。

また別の話として、、、
幼少期に発達障害の治療・療育を始めた結果、能力の偏りはあるが大学進学も全く難しくない」という事例は多くあります。
そう考えると、たくさんの人に小さいうちに診断を受けておいてもらえるといいのになー、、と思うわけで、、、
「就学前身体測定・身体検査」で発達の検査をしてもらえる(もしくは小学校の身体検査に入れる)のがいいのかと思ってみたり、、、あ、でもそれ「スクリーニング」になるからやれないのか、、、と思ってみたり。
どちらにしても、発達障害が疑われた時点で「受診・診断」してもらうと「発達障害あるけど何とかなったになりやすいと思うのです。

私個人としては「小さい頃から、診断を受けて療育に通うことが発達障害の影響を小さくする最も良い方法の一つ」だろうと思うのです。

そういった意味で、、、
鳥居みゆきさんが仰る「自分の中で折り合いをつけて病院に行きたくないなら行かない、行きたいなら行くという風に考えられたらいいなと思います」というのはちょっと違うのかな、と思うわけです。

発達障害というものの大変さ・面倒くささ

診断を受けるかどうするかの判断をするのが本人ではなく保護者(親)になることが多い、というところにあると思います。
そうすると、どーしても感情的に判断してしまう事があって。
「ウチの子は、そうじゃない」とか「ウチの子はもっと頑張れば大丈夫」とか。

とても表現が難しいのですが「障害と名がつく症状は明らかにできないときに付いている」と聞いたことがあります。
「右腕がない身体障害の人に右腕でご飯を食べてもらうようなもん」というと表現がよろしくないのですが、、、ストレートに書くと「発達障害」はそういった「やろうとしてもできない症状を持つ」という事だと考えられています。

ただ、脳は可塑性が高く「別の経路を使って、同様にできる」ようになります。脳が若ければ若いほど、可塑性は高いと考えられていて、、、だから「早めに診断を受ける」+「早めに専門的な療育を始める」事が大事だろう、と(一般的には)言われているわけです。

子どもの「最大の利益」を考えると実は「発達障害の診断」を受けることが最も良い、、、ハズです。
、、、そうじゃない事もある、というのは「社会に生きている」と感じますが、今回は「診断を受ける必要性」というお話で、ご容赦くださいm(_ _)m

あと、今は過渡期で、、、。
大人になってから「発達障害であることがわかった」という人も多くいると思います。
この先は大人になってから発達障害だと疑う人は減っていくと思いますが(これだけ色々な機会で目にする・耳にするので)、今はまだ大人になってから「自分が発達障害かもしれない」と考える人が居て、、、。

その中の一人が鳥居みゆきさんかな、とも思っています。
ですので「診断を受けていない」こと、「診断を受けなくてもいいと思っていること」≒「仕事ができていて、困っていない状態」は、特におかしな事ではないだろう、と。
この先を考えると「選択できる」=「自分の中で折り合いをつけて病院に行きたくないなら行かない、行きたいなら行くという風に考えられたらいいなと思います」ことは「診断を受けたあとに行くかどうかを選択できる」という意味で捉えると大賛成です。

しかし、言葉を額面通り「診断を受ける・受けないから選択する」と受け取ると違うかな?と。
この先「大人になってから、発達障害とわかる可能性はほぼ無い」だろう事
「早い時点での診断→療育、が子どもの最大限の利益を生む可能性が高い」事
早い時点で病院にかかるかどうかの選択が本人ではなく保護者(親)がすることになる」事(≒本人の利益にならない行動を取った場合、どうするべき?
の3点から、、、私は「発達障害の診断は疑いがあったときに、できるだけ専門的に診てもらう」べきだと思います。さらに「専門的な療育」につながることが必要だ、と思います。

つながったうえで「学校」や「学習塾・家庭教師」など、周囲の大人たちが手を組んで、その子の「最大限」を目指すことが必要だ、、、と思います。
、、、そのためには「指標」だったり「生徒の学習の状況」だったり「学習の結果・フィードバック」だったり、、、1か所で完結しない(学校だけ・病院だけ・療育だけ・塾だけ、で完結しない)と思うのです。
そのスタートとなるのが「診断」じゃない?それを、、、受けないの??

というのが私が感じた疑問でした(長い)。
さて、、、「発達障害が疑われますね」と塾の先生や学校から言われた時、どーされますか?
「ウチはありえないから考えないで大丈夫」ではなく「その時に感情的になってしまわないために」冷静に考えれる今のうちに、ぜひ考えていただきたいなー、と。
病院につながること、いっぱいプラスがあると思います(面倒くささや大変さはそれ以上だと言われますが、、、)。
ぜひ一度、ご思慮いただければ、m(_ _)m

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この記事を書いた人
すぎやま

札幌の家庭教師屋さん・家庭教師がつくる塾BASEの人
名古屋出身・富山大学卒・富山で小学校講師・北海道で公立高校教員・家庭教師をしていたら塾ができていました。

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