子どものトラブル「ごめん」→「いいよ」の話。

最近、よくTwitterで見てる「なちゅ。」さんのこんな話が今回のスタートです。

学校内でのケンカ・トラブル

なちゅ。さんが言ってる「トラブル」。大半は学校(幼稚園・保育園)内での話だなーと思います。

学校でのトラブルは、ほとんどが『「ごめんね・いいよ」という指導をするだけ。そうじゃなく「ごめんね」と言われても「いやだ」と謝罪を受け入れないということがあることも教える必要ある』よなー、というのがここ最近、Twitterで話にあがっていたようです。

で、それに対して「いやだ」の後の対応、どうする??っていうTweet(連ツイ)でした。

子ども達のケンカ、どうしても最終的に「大人(教師)が間に入る」ことが多いわけです。
で、その時に「お互い仲良くね」にしたくなる気持ちは、、わかります。
でも、大人がケンカになると、、、
「今は話したくない(=時間空いたら話できる)」とか「二度と話をしない」といった選択をすることの方が多いかな、と思うわけで、、、。
「ごめんね・いいよ」の仲直り、ってあまり無いですし、「ごめんね・いやだ」という会話もあまり無いかなー、と思うのです。

子どもだから、ではなく

『まだ子どもだから「全ての人と仲良く」を教える』という考え方がどこかにあるように思います。
確かに、誰とでも仲良くできるようになることはとても大事だと思います。でも子どもごとに理解度が違うので「全員に同じように伝え、同じように伝わる」ことは難しい、、、と思っています。

学校でのトラブル、謝って終わり、、、ではなくその先の学校生活が継続されていくわけです。クラスメートであれば毎日同じ教室で、場合によっては隣の席で、全ての授業を受けて、お昼ごはん食べて、、、と。だからできるだけ「みんな仲良く」になりがちなわけです。

子どもも大人と同じように社会を見ている

小学生でも中学年(3、4年生)になってくると十分「大人が見ているのと同じように社会を見ている」ように思います。大人がいう「皆、仲良く」を「上っ面だけ」と思っている子は意外と多いです。

そんな子に「誰とでも仲良く」は通じないわけです。
「どーせ、良いことだけ言ってればいいんでしょ?」「なんとなく、表だけでいいんでしょ?」ってのはよく聞く話で。
だから大人と同じように「仲良くできない人と仲良くしなくていい」と伝えることが正解、、、、という結論でもないなー、と思うわけです。

ホントは誰とでも仲良くできると良いのは間違いないし、でもそれがどーしてもできない相手が居たりしてそーゆー人とスゲー仲良くする必要は無いけど、ちょっと仲が良いとか仲が悪いわけじゃないくらいの距離の友だち(≒知り合い?)でいることが実は望ましいこと、、、、というのが大人たちが意識していることじゃないかと思うのです。

どちらでもない、、、という距離感は成長するに従って身につくものだと考えています。が、それを伝え・教える必要がある子もいるなーとも思います。

「ごめん・いいよ」「ごめん・やだ」のどちらでもない選択

そもそも、謝らないという選択は無いのかなーと、へそ曲がりな私は考えてしまうわけです。どーしても謝りたくない時ってあると思うんですが、、、そうでもないです?私だけですかね、、、。
謝らなかったが為に、学校から帰ってどうして良いかわからなくて、ワニワニして、、、。翌日学校行ってスゲー気まずくて、速攻で謝ったことも多々あったように思います(笑)。

学校では「全ての人と仲良く」を伝えて(教えて)もらっていいと思うのです。
その上で子どもごと(ご家庭ごと?その子ごと?)に必要なことを伝えていくことできるといいのになー、と思っています。

よくよく考えれば、謝って許して欲しいってのは加害側の勝手な思いです。それを「ごめん・いいよ」で終わらせるのはどうかなー、と思います。
そして、許せないことは許せないってのが被害側の権利だと思います。でも「ごめん・やだ」で終わらせてしまうと「その先一緒に何かせざるをえない時にどうするか」という考え方が出てきたりするわけです(学校で集団行動・グループ活動は必ずあるので、日本の教育特有の問題ですね)。

「別に謝らなくてもいいし、許さなくてもいい」と思うのです。もっと言えば「どんな選択であってもいいはず」です。その子が自分で選択した答えであれば

学校(クラス)での人間関係をなんとかできる力は小中学生には(場合によっては高校生にも)どーせ無いのです。大人たちが動いてなんとかするのは間違いないわけで、、、そうであれば「ごめん・いいよ、じゃなくていい」のになー、と。そして「ごめん・やだ、でもいい」わけです。

で、

これが、1つの答えのような気がします。

「ごめんね・やだ(無視を含む)」という形があることを教える。
そして「無視されても、それは(相手が)許すために時間が必要なんだ」と教える。

「寛容」という言葉に置き換えることもできるかと思います、、、「心を広く持つ」でもいいんですが、、、形として「ごめんね・やだ」の後、加害側が出来得る最大限がこれかなー、と思います。

同様に、「ごめんね・やだ」の後、被害側が「時間たったし、自分の中で落ち着いたから」となった時に、どう相手に伝えるか(または伝えない方が良いのか)もあると思っています。これも何か明確な形があるわけじゃなく

「ごめんね・やだ」という形はあって当然であると伝える。
そして「やだ→許せるとなったときに、相手にちゃんと伝えてあげよう」と教える

ことが大事な気がしています。
あ、状況によっては伝えない方が良いことも十分ありえますよね。

その辺りを考えるとやはり大人(担任・学校の先生・保護者・カウンセラー)の介入が絶対に必要だなー、と思っています。(小学生〜高校生までほぼ全てにおいて、、、、必要かなー)

まとめ

子どもらのトラブル、毎日のように何かかんか起きますよね(笑)。
学校で起きたことって「保護者としては何がどうなったのかわからない(わかりにくい)」ので子どもに聞いたり、担任に聞いたり、、、でとても大変だと思います。

今回はそのトラブルをどー解決していくかとかではなく、、、。
「謝れば良い」というだけではない価値観?考え方?を子ども達にどこまで伝えるといいのかなー、、、というちょっと「大人に近い感覚で話をしていかないとダメな時ありますよね?」というお話でした。

「ごめん・いいよ」で解決できるほど簡単じゃない事の方が多いはずで、、、それを「ごめんなさい・いいですよ」で解決されると、、、なんとなく嫌な気持ちが残ってしまって、学校イヤになったり、先生(大人たち)を信じられなくなったり、、、があるかなー、と思うのです。

どこかで「子どもだから」と思っているところが、我々大人にはありますし、まあ、それで良いと思うのですが、、、彼らも十分大人で、、というか人としては同じで、同様に扱うべき部分もある、、、、ことは忘れないようにしたいなー、と思っています。

まとまらずm(_ _)m

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謝るのが苦手な子もいるんだよなー、とか、謝られるのが苦手な子もいたなー、とか思って書いていました。そこまで書くと、何の話だったか分からなくなってしまうのでできるだけサクッと書いた、、、ハズです(笑)。

学校内トラブルについてのご相談も受けています。
どういったサポートが生徒さんに必要か、一緒に考えたいなーと思っています。

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この記事を書いた人
すぎやま

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名古屋出身・富山大学卒・富山で小学校講師・北海道で公立高校教員・家庭教師をしていたら塾ができていました。

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