理想と現実、もしくは教育と経済合理性、というお話(教育論のお話)

教育における経済合理性

最近、教育に関して話すときに「就職に強い」「安定している」「稼げる」
といった視点が前提に置かれることが増えているよーな気がしています。
教育が「未来の収入に対しての投資」となっているよーな、、、。それ自体は理解できますし、否定する気はないです。
経済的な合理性・合理的な考えで教育を話す・考えることを「教育における経済合理性」と言っています。

「合理的に考えて正しい行動を取る」ように見える子どもたち

近年、生徒の進路選びを見てると「経済合理性で選ぶ」という流れが以前にも増して強くなっているよーな気がしています。その「合理性」が「本当に合理的かどうか」ちょっと疑問が残る、、、というか、なんか違う??という状況になっているなー、、、ってところでして。
本来なら、、、合理的に考えるのが好きな私としては「我が意を得たり」と喜んで進めていけばいいんですが、貧乏性で猜疑心の強い私は「社会的にそういう流れになると、嫌だなあ」とか思ってみたりするわけです(笑)。

「医療・看護は安定」「情報系は将来性」「資格職が強い」、、、確かにそーゆーデータはありますし、私もそう思います。ただ、「興味・関心」とか「知的好奇心」とか「楽しい」とか、、、抜け落ちてないですかねえ?

いや、合理的だし、将来のことちゃんと考えれてるし、、、正しいんですよ、ホントに。
でも、、、ホントにそうなのか?と思うことがいっぱいあるんです。

生徒が合理的になってる?

合理的というか、現実的というべきか、、、「進路」の話を聞くと「仕事のために大学に行く」という話になる生徒が大半で、、、「楽しいことをしたいから大学」みたいな話はほとんど聞かなくなっています

正しい判断だと思いますし、現実を見て「就職しやすい大学に行く」と考えるのは良いことだと思いつつ、、、。何か違うよーな気がしているんですよね。「スキルアップして自らを磨く」みたいな考えではないよーな気がするわけです。
「どうやったら一番楽に大学に行けるか」とか「楽に卒業できるところはどうか」みたいな、、、「仕事のために大学に行く」≒「就職しやすい大学に行く」という合理性

「スキルを磨いて」→「自分の能力を上げて」→「やりたい仕事ができるように」という合理性ではないんですよね。

大人(保護者・社会)からの要望としての「合理性」

同時に、、保護者とお話ししている時、「この子が将来、困らないように」というお話はよくあるわけです。
何か悪いことでもなく「ごく普通のお話」なわけです。

ただ、その「困らない」が何を指しているのかなー、、、と考えるんですよね、いつも。就職に強い・収入が良い・安定した職業、、、その辺りをイメージしてること多いですよね。
確かにスゲー大切で。私も同じように考えて進路を提案しています。

生徒たちが「就職しやすい大学」を選ぶ合理性、、、実は「大人の受け売り」なのかもしれません。
大人たちがいう話をよく聞いているからこそ「大学は行かなきゃダメ」だと思っていて、、、そこから逆算をして「自分はこれができる・これはしたくない」「だから、できるだけ楽して入れて就職できるところ」という合理性、、、になってるわけです。

社会全体も「仕事をするために大学に行く」ことを後押ししてますよね。
基礎研究よりも「社会とつながりがある研究を取り上げる」ことが多いですよね、、、テレビもネットも「新しい物質が見つかった」よりも「電気味覚の研究(youtube)」の方が受けがいいですよね(笑)。

また、大学の授業科目が「マーケティング」や「企業とのコラボ」のような「より、仕事に密着した内容」になっていることも「社会が大学を『仕事のための学び』として考えている」証拠かな、と思っています。


閑話休題:学力低下というか、、、「学校と塾の違い」のお話

また、少し別のお話をば。
ちょっと違和感を覚えてることがあって、、、。

ここ最近、教育界で「学力低下」がよく話題になります。

「文部科学省が言う学力」と「受験産業(≒塾)が言う学力」がずれているのではないか、ってお話です。

文科省が言うのは「思考力・判断力・表現力・主体的学び」とかで、、、一方で、塾が主に扱っているのは、「テストで点が取れる力」「偏差値が取れる知識」、という話。

同じ「学力」でも混同してしまうと、子どもの学ぶことが片寄るかもしれないし、、、。
学校の役割と塾の役割は本来異なり、それぞれ果たすべきものがあるハズだと思います。

しかし、最近学校が「現実・合理性」を語り塾が「理想」を語るという逆転現象が起きているような気がしていて、、、。
曰く「学校は忙しい(先生は忙しい)から、**しかできない」と。
塾の先生方のネットでの発信を読んでいると「教育の理想を語る」人の多いこと、、、点数を取らせるだけはなく、生徒の成長を考えると、、、、という視点で話をしている塾が多い(というか全員そうじゃない?というレベルで多い)ですよね。

学校が教育の理想を語れない状況になっているよーな、、、そんな気がしています。


何を言いたいのか。

サクッと言えば大学・高校の進路選択、現実論過ぎません?ってことです。

「自分がやりたいことは仕事にならないだろうから、金儲けできる仕事をして、したいこともする」という考え方は嫌いではありません(むしろ好き)。
そういった「合理的に考えて、自分に有利な進路を選ぶ」ことは大事な方法論だと思っています。

近年「学校でも現実論を唱える」ことが多くなって、、「やりたいことよりもやれること」だったり欧米のように「大学に行ってキャリアアップすることを意識する」だったり、将来、就職したときに「どれだけ給料が増えるか」を目的にした高校・大学の進路を勧めるようになっている、、、よーに感じます。
でも、これも悪いと思わないんですよ「それも一つの選択肢」だと思うので。

ところが、それを「楽する方向にだけ利用する」人ってのが増えているよーな気がしていて、、、。
「行けるとこで就職できればいいや」って考え方になってないかなあ、と。
上で書いた「「どうやったら一番楽に大学に行けるか」とか「楽に卒業できるところはどうか」みたいな、、、「仕事のために大学に行く」≒「就職しやすい大学に行く」という合理性。」ってホントにちゃんと考えた結果なのか、、、それとも「もー面倒くさいから、これでいい」って出した結論、、、のように見えるのは私だけでしょうか??

高校・大学での学び

高校でも大学でも、、、学ぶ内容は何でもいいと思うんですよね、ホントに。
ただ「考える力」や「伝える力」をしっかり身につけるような学びをしてほしいなー、と思うんです。
「仕事内容を理解して文書が作れる力」ってのは確かに即戦力として大事ですが「それだけで、仕事が賄えるわけではない」のは大人にとっては当然の感覚だと思います。
即戦力を作るよーな教育が「今求められていること」なのかなあ、と不安に感じるんですよね。

私は大学で「ゾウリムシの繊毛打制御機構」というテーマで研究をしていました。
まあ世の中一般で「それ、何に使えるの?」と言われる研究ですね(笑)。
当時、使えるかどうかかよりも「どうしてそうなるんだろう?」とか「おもしれー!!」とか、、、。
研究することの面白さや学問をする面白さ、、、みたいなもので研究していたよーな気がします。
「役に立つかどーかわからない」≒「ほぼ役に立たない」研究をする時間ってのは、とても貴重な時間だったんだなー、と思うわけです。
楽しみつつ身につけた「考える力」とか「伝える力」ってのは高校教員時代にも役に立ちましたし、今も生徒たちに授業する・話をする時、保護者向けのお話会だったり、面談で役に立っています、間違いなく。

「どんな仕事をする上でも使える力、、、みたいなものを身につけること」が教育の一つの目標なのかなあ、と考えています。

同時に「楽しいだけでは進路は考えられない」という現実論も大事

今すぐ役に立たない知識を身につけたおかげで、仕事になってる、、、と言えるとカッコイイんですが、そうとも言い切れないんですよね(笑)。
現実的なことを言えば大卒で就職できていませんし、その後流れ流れて「教員採用に合格」するまでに10年近くかかってますし、、、、「役に立たない知識」はホントに役に立たないんですよね、困ったことに(笑)。

そういった意味で即戦力を作るような知識、、、現実的にすぐに役立つ知識・知恵はとても大事です。
aですが、そういった「必要な・役に立つ知識だけ」でいいなら、生成AIでいいわけです(笑)。

→ どっちも持ってないとダメ、ってのが当たり前、、、だと思ってるってことですm(_ _)m。

「どんな仕事にも使える力」も「すぐに(仕事に)役立つ知識・知恵」どちらも身につけることを意識して、、、学校の先生も、塾の先生も、教えてくれていると思っています

基本的に「小中学校」は「どんな仕事にも使える力」が重視され、「高校」は「現実的に役立つ力」が重視されていて、、、となってるよーな気がしてます。

まとまらない、まとめ

この記事を書き始めたきっかけは「違和感」です。
「何で経済合理性で考える生徒(保護者)が増えているのが、イヤな気がするんだろう」という違和感で。
「大学で仕事を学んでどーしたいんだろう」とか「仕事の為に学ぶ、ってなんだ?」とか、、、色々な疑問がフツフツと湧いてきまして。

で、勢いで書いてます。言いたいことは、、、ありすぎて書ききれませんでした。

個人的な思いとしては「大学で、どーでもいい研究してきた人の話を聞くのが好き」なんで「よくわからん、世の中の為になるのかどうかわからん研究」をして欲しいとは思ってます。
、、、「そんなことのために大学に行くの?」となりそうなお話ですね(笑)。

合理的に考えることはとても大事です。
同時に「非合理的」だったり「不合理なこと」も受け入れること必要だと思います。
進路を考えるときに、合理性だけ、、、で進んでいけるでしょうか?わからないなー、と思っています。

、、、ちなみに、私は富山大学を受験する為に前日に富山駅に降り立ったときに「あー、この街に住むのかー」と感じました(し、到着後に公衆電話から母に電話して「いい街だ、ここに住むわー」と言っています)。合理性も何も無いですが、、、そういうことがある、と思ってます。仕方ないです、そう思ったので(笑)。

合理性だけ、、、ではダメだなー、と思っています。
だから、生徒が「何となく、感覚的に」である間は「合理的な・合理性で」話をしていきます(結果、ほとんどの場合、合理性でお話をします)。
生徒が「合理的っぽく話をする」なら「異なる合理性で話」だったり「感覚・感情的」なことを話をします。
どちらも、いいバランス(生徒さんごと異なる気がしている)で持っていることが大事なんじゃないかなー、、、と、、、、いう気がしているよーな、そんな感じがしないでもないような、、、、、くらいです(笑)

ぼんやりとしたまま、おわりm(_ _)m

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この記事を書いた人
すぎやま

札幌の家庭教師屋さん・家庭教師がつくる塾BASEの人
名古屋出身・富山大学卒・富山で小学校講師・北海道で公立高校教員・家庭教師をしていたら塾ができていました。

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