えーっと、教員不足の話というよりも、「塾が無くならない話」を書こうと思ったんです。
思いついた最初が「教員不足と繋がってるなー」だったので、そのまま書いてますm(_ _)m
実際繋がってるかどーかは全く保証しません(笑)。
ただ、、、なんとなく、「先生が足りないこと」と「塾が無くならない(塾の役割が変わった)こと」は繋がってるという感覚がある、というお話ですm(_ _)m
北海道の教員不足は「突然起きた問題」ではない
北海道の教員不足。ここ数年で急に起きたものではなさそーです。

上のグラフは、2001年(平成13年)から2024年(令和6年)までの、北海道の教員採用試験における受験者数(青棒グラフ)・採用者数(赤棒グラフ)・倍率の推移(緑折れ線グラフ)を示したものです。
見てほしいのは、「受験者数の減少」
2000年代前半、北海道の教員採用試験は、受験者数が8,000〜9,000人台、倍率も10倍を超える年が続いていました。ところがその後、受験者数は一貫して減少し、2010年代には5,000人前後、2020年代には3,000人台まで落ち込んでいます。
これは単なる1年ごとのブレではなくて、、、、20年以上かけて進行してきた長期的な流れだと言えそーです。
倍率が下がった=合格が楽になった、ではない
倍率を見ると、10倍前後だったものが、近年では3倍前後まで下がっています。
数字だけ見て「倍率が下がったから、教員になりやすくなったのでは?」と思われがちですが、必ずしもそうではないようで、、、、。
なぜなら、、、
- 採用者数は大きく増えていない
- むしろ一定数を確保し続けるのが難しくなっているようにも見える
- 地域や校種によっては定員割れが起きている
という状況が数字から読み取れる、、、と思ってまして。
つまり「教員が余っていて、倍率が下がった」ではなく「志望者が減り続けた結果、倍率が下がっただけ」じゃないかと。
必要な教員の数は毎年変わらずある。でも「志望者が減っている」ので倍率が下がっているだけ。
、、、このまま進むとヤバい、というか既にヤバいのかもしれない、と思ってます。
「教員が足りない」のではなく「志望者が戻らない」
つまるところ、このグラフから読み取れるのは「北海道の教員不足が一時的な人手不足ではない」ということで、、、。
- 志望者数は20年以上右肩下がり
- 倍率低下は結果であって原因ではない(志望者数が減って倍率が減ったんであって、倍率低下したから志望者が減ったわけではない。当たり前のことを書いてるんですが、気がついた時ハッとしました)
- 回復傾向がほとんど見られない
つまり「条件を少し改善すれば元に戻る」とか「一時的な不人気が原因」といった性質の問題ではなさそうです。
教員に期待されている役割・実際の業務・負荷と責任のバランスなどなどが長期間ズレ続けてきた結果、志望者が減っていると考えれるんですが、、、どーでしょうか??
北海道という「地域」が問題を見えにくいものにしてる?
北海道の場合、この問題がわかりにくくなるよーな気がしていて。
- 学校数多い、地域も広い
- 小規模校・複式学級が多い
- 結果として、教員1人あたりの役割が重くなりやすい
- 教員の異動による生活環境の変化も大きい(高校は道内全域に移動、小中も管内移動)
これらは一つひとつは「仕方がない事情」ですが、積み重なることで「教員を続けるイメージが持ちにくい」状況を作ってしまっているように思います。
結果として「なりたい人が減る」「なっても続けられない」「人(育った生徒)が戻ってこない」となってるよーな気がしているんです。
教員不足は「現場の努力」で解決できる問題ではない
どーしようもないんです、北海道の教員不足ってのは、、、。
「教員個人の問題」とか「若者の意識の問題」とか「最近の働き方の問題」とか、、、色々ありますが、それだけでは説明しきれないんですよ、この志望者数の減少は。
むしろ「学校に集まりすぎた役割と期待」とか「それを前提に設計され続けてきた制度」とか、大きな流れ・社会的な構造みたいなものが、長い時間をかけて志望者を減らしてきた、と見る方が現実的で、、、
この点を理解しないまま、「もっと頑張って」とか「やりがいをアピールして教員増やそう」とか、、、そーゆー方向に進んでも、状況は大きく変わらないし、より酷い状況を生むだけじゃないかなー、、、と思うわけです。
学校に期待されすぎている役割
教員不足の話って「忙しすぎる」とか「ブラックだから」でまとめられることが多いように思います。
でもどーやら、教員がどーのーこーのーじゃなさそう、だな、と。
色々考えると「学校に期待されている役割そのものが、かなり膨らんでいる」のが原因の一つじゃない?って気がしているんです。
学校が担っているのは「勉強」だけではない
本来、学校の中心的な役割は「学習指導」です。ところが現実にはそれ以外の役割が次々と学校に集まってきました。
例えば、、、
「学力の底上げ」「個別最適化」「発達特性への配慮」「生活習慣の指導」「進路指導」「キャリア教育」「問題行動への対応(生徒指導・生活指導)」「家庭環境への配慮」「保護者対応」「福祉支援の入り口」、、、。
これらの多くは、本来は行政がやっていてもおかしくない役割ですし、実際、行政やNPOが担っている部分もあると思います。でも「まずは学校で」という形が当たり前になっている、、、んですよね。
「学校なら何とかしてくれる」という期待
保護者側としても「学校に相談すれば何とかなる」「学校が気づいてくれるはず」「学校が指導してくれるだろう」という期待があるんじゃないかと思います。
これは、保護者が悪いという話じゃなくて、、、そもそも「それ以外に頼れる先が見えにくい」んですよね。
特に北海道では「地域資源が限られている」→「専門機関が身近にないので相談先が分かりにくい」ので学校が「最初の受け皿で、最後の受け皿」になっている地域、多いんじゃないかと。
期待が増えても、時間と人数は増えない
一方学校側は、「教員の人数は増えず・授業時間は減らず・行事や事務作業も減っていない」なんだったら「新しい対応・行事・事務が増えた」んですよね。
「役割と期待だけが増えた」状態、人は増えない・行事は減らない・仕事も減らない。
この状況だと、どれだけ真面目に取り組んでいても「手が回らなくて、後回しになって、表面的な対応にならざるを得ない」んですよ、どーやっても。
これ、個々の教員の能力の問題ではなく、構造上そうならざるを得ない状況だと。
とはいえ、「学校が悪い」わけではない
「学校が怠けている」とか「教員が努力していない」という話をしたいわけじゃないんですよ、ホントに。
「本来の役割以上のことを求められ、それでも現場は何とか回そうとしている」んです。
結果として「無理が常態化しそれが当たり前になり外からは見えにくく(わかりにくく)なった」んだと思っています。
その歪みが、時間をかけて教員志望者の減少につながっているんじゃないか、、、と思っているわけです(やっと話が戻ってきた、、、長くてスミマセンですm(_ _)m)。
学校に期待しすぎると、誰が苦しくなるか
えーっと、生徒(児童)たち、です。それは絶対にそうなんです!
学校に役割を集めすぎると、
「教員は疲弊する」→「学校は余裕を失う」→「子ども一人ひとりを見る時間が減る」→「保護者も『十分に見てもらえない』と感じる」、、、と風が吹いたら桶屋が儲かるよーな図式が成り立つわけです。
これ「誰も得をしないし生徒が困る(保護者が困る)」んですよね、、、実は。
それでも学校に期待せざるを得ないのは、他に受け皿が少ないから、、、、。
あ、それで塾か!と思ったんですよ、ここまで考えてて。
だから、塾は無くならないんです
長かった、、、この話が書きたくてここまで長々と、、、グラフ使ってまでお話を書いてました。
学校には本来の役割を超えた期待が集まり続けています。その結果として起きているのが、
学校だけでは担いきれない部分が発生する=学校で対応してもらえないって状況でして。
そして、その「担いきれない・はみ出した部分」を引き受ける存在として、塾や家庭教師、NPOなど、、民間の学習支援が頑張っているよーな気がするんです。
塾が存在する理由は「学校がダメだから」ではない
塾が無くならない理由。
「学校の授業が分かりにくいから」とか「先生の質が下がったから」と言われます(し、私もそう思っている部分も無きにしもあらずです)が、それは少し単純すぎるよーな気もしています。
個人的には「本来、学校は集団を見る」「塾は個を見る」という違いがある、、、と思っていて。
学校は、限られた時間と人数の中で、集団に教育を行う仕組みで、、、。
私がやっているような塾・家庭教師だと「つまずく場所・タイミングが違う・理解のスピードが違う・得意・不得意が違う・家庭環境の影響」といった個別の事情に合わせる「個々別々への対応」をしていて、、、。
通常の集団塾・個別指導塾も「個への対応」を謳っているところが多いのはそういった「学校との区別・差別化」ですよね。
学校が「全部を見る」前提は、もう成り立たない
と、思ってるんですけど、違いますかね、、、?
少子化が進んでも塾が無くならない理由の一つとして「子ども一人あたりに必要な支援は増えている」という実感があります。
- 学力差は広がりやすくなっている
- 発達特性は多様化している(≒多様な発達特性を理解できるようになってきた)
- 家庭の教育力の差も大きい(≒両親共働きが当たり前、家庭内での学習状況把握が難しい)
- 進路は複雑化している(大学に行く/行かないだけでなく、通信制高校・学校に行かない選択も増えている)
この状況で「学校が全部面倒を見るべきだ」と思ってしまうと、どこかに歪みが生じるわけです。
その歪みを調整する役割として、塾や家庭教師・NPOが果たしている面は大きくなっているよーな、、、そんな気がするわけです。
とはいえ、塾は「学校の代わり」ではない
当たり前ですが、塾は学校の代わりではありません、、、現状は(この先、変わるよーな気がしていますが)。
評価や集団生活、社会性を育む、、、などは学校が得意とするところで、特に評価は「学校以外できない」ことでもあります。
塾は学習の遅れを助ける、つまづきの対応、生徒個別の状態に合わせた学習の課題・生活の課題に対応する、といった、明らかに「学校を補う場所」として存在しています。
だからこそ「学校が機能しなくなるから塾が増える」のではなく「学校が役割を果たしているから、塾も必要になる」という形が当たり前、、、になっているんですが、、、。
ここのところの「北海道の教員不足」で、塾・家庭教師も「やることを変えていく」必要があるんじゃないかな、、、と。
ただ、、、この先を考えると「学校の学習評価の一部を塾に丸投げ」して学校は「集団生活・行事・担任業務(と部活?)」に集約していくと、、、実はいいんじゃないか?と思ったりしています。
もう「学習して評価する」をオープンに世の中全体で、、、としてもいいような気がするんですよねー。
そして学校は「生徒の人間力」みたいなものを評価対象にして、、、みたいなイメージです。まあ、細かいことを考えると長くなるので、このくらいで、、、m(_ _)m
塾が無くならないのは、構造の結果
結局のところ、教員不足だったり、学校への期待だったり、塾が無くならないことだったり、、、は同じお話の別の側面のよーな気がしてる、ってお話です。
誰かが怠けているわけでも、誰かが悪意を持って壊してやろうとかしてるわけでもなく、、、学校に役割が集中しすぎた結果、自然に外部へ役割が分散していっている、という一過程を見ているだけじゃないかな、と。
そーすると、、、、。
塾が存在し続けているのは「じゃないと、生徒も保護者も(学校も)大変だから」という、、、。
ここまで書いたのに全くもって、どーでもいいオチになるわけです(笑)。
学校にも、塾にも、期待しすぎないために
学校には、「学習指導、生活指導、発達特性への対応、進路や将来への対応や支援、家庭環境を踏まえた調整役」といった、多くの役割が集まり続けてきました(し集まり続けています)。
一方で、教員の人数や時間、制度設計はその増え続ける仕事(期待?)に十分対応できる形にはなっていません。
その歪みは長い時間をかけて教員志望者を減らし、学校の余裕を奪っています。
同時に、学校だけでは担いきれない部分を補う存在として、塾や家庭教師、NPOといった外部の支援が残り続けて(増えてきて)います。
これ、学校が悪いわけでも、教員が努力していないわけでも、保護者が過剰要求をしているわけでもない、、、ハズです。役割が集中しすぎた結果として起きているんじゃないかなー、と感じるんです。
だからこそ、必要なのは
- 学校に何を任せるのか
- どこから先、外部に出すのか
- 家庭で抱え込まない選択肢をどう持つか(どう持ってもらえるか)
を、現実的に考えることだと思っています。
学校は万能ではないですし、塾も万能ではありません。
それぞれができること、できないことを前提に役割を分けて考える必要がある、、、んじゃないかなあ。
場合によっては、学校の働き(機能)を外部に委託する・外注する、くらいのことを考える必要があるんじゃないかなあ、、、と思うわけです。
(特に、発達障害の生徒対応とか個別の特別支援計画とか、、、わからないなら丸投げしてくれ!と思うことも、、、)
「期待しすぎない」というのは、軽んじるという意味ではなく、学校を壊さないために必要な距離感じゃないかなー、、、と。北海道の教員不足と塾が無くならないってのは、実はいい距離感で学校と塾がやっていけてる、、、ことを示している、、、と、いいなあ、、、(笑)。「もー、どーしよーもないから、距離取って影響受けないように」じゃないことを祈りつつ。
おわり。
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