ターゲットになりやすい生徒、の話。

ちょっと気になるpostを見つけまして、、、。
腑に落ちるところがありまして、ご紹介がてら、お話をば。

安全で安心できる環境にいる子ども

発達障害のある子どもにとって、安心できる育ちの環境はとても重要だと思います。
特に、小さい頃から医療的支援や心理的サポートが受けている子どもは「特性を理解されながら育つ」ことで、自己肯定感を大きく損なわずにのびのびと成長できることが多いとされています。
、、、ので、そういったことを意識して教えていたりしてるんですが、、なかなか難しいですよね、こーゆー「環境を整える」ことって。

一方で、そうした「のびのびと育った子ども」が、学校などの集団生活の場で他の子どもから執拗に嫌がらせを受けるケースが意外とよくあるようです。
この現象について、児童精神科医のてんねんDr.さん(@adhdsavetheplan)がX(旧Twitter)上で、、、


児童精神科に長らく通院できているような親子の場合、比較的安全で安心できる環境を手に入れ伸び伸びと育ってきてる子も多い。ただしそういう子限って、他の子に執拗に嫌がらせをされたりすることもある

てんねんDr.さんのpostより

と書いていまして、、、そう言えば、そんなことあるな、、、と。

のびのび育った子どもが攻撃される?!

てんねんDr.の書いてる「のびのび育った子ども」
→ 「家庭や医療的支援の中で、比較的早期に特性の理解を得て、保護されて育った子ども」のこと。
、、、決して過保護という意味ではなく、安心できる環境で「自分らしく在る経験を重ねた子ども」なわけです。

一方「執拗な嫌がらせ」を行う側の子どもは、、、

  • 十分な愛着形成がされていない・慢性的な愛情飢餓を抱えている
  • 周囲と比較され続けて自尊感情が低下している
  • 「頑張っているのに認められない」「なぜ自分だけが満たされない」といった強い不全感・不能感

みたいな、困り感を抱えているんじゃないかと思うわけです。

こーゆー状態・状況の子どもが、のびのびと振る舞う同級生に接したとき。無意識のうちに、、、


「お前はそんなにできないことが多いのに、頑張っている自分はどうしてこんなに寂しいんだ」

てんねんDr.さんのpost

って、感情が生まれてるんじゃないかなー、と思うわけです。

こんな感情が他者(自分の外側)に向かうと「嫌がらせ」という行動になることあるんですが、、、。
「羨ましくて(妬ましくて)、嫌がらせしてしまった」と本人たち(被害側・加害側)は思っていないことがほとんどだろうなー、と思います。特に加害側の子は「あいつ気に入らない」くらいの軽い気持ちの事が多い気がします。

明らかに「加害行動」ではあるんですが、本人の「心の飢えや寂しさ」の表現の可能性があることは忘れてはいけないなー、、とも思います。

支援するなら「関係性を見抜く力」が必要かもしれない

こういったケースは、「どちらが悪い」「謝らせるべき」といった単純な事ではなく、関係性の歪みを正確に捉えて話を進めることが大事かもしれません。

てんねんDr.さんは、


そのような状態のときは、少なくともその嫌がらせをしてくる子どもと関わるのはやめさせたほうがよい

てんねんDr.さんのpostより

と書いていて。

これは、関係を断ち切ることは「回避」や「逃げ」ではなくて、心の安全を確保するための合理的な介入だ、としてくれていて、、、。とても大事な考え方だ、と感じます。

発達障害のある子どもは、自分自身の違和感・苦痛を言語化する力が弱い場合が多くて、うまく伝えられていない・表現できていないことが多いように思います。
そーすると周囲の大人は「子どもが大げさに感じているだけ」と誤解することも多いんですよねー。

放っておくとストレスがかかる事になるわけで、、、。
そーすると、登校しぶり・身体症状・問題行動といった形で問題が出てきて「初めて何かあったとわかる」ってことが多いんですよね。

で、支援する(手助けする)ことを考えると、、、

  • 子ども本人が言語化できない関係性の質・種類を察知すること
  • 長期的に考えて、本人の「自己肯定感」や「人間関係形成」に悪影響を及ぼす関係性であれば、距離を取らせる

は、大事だと思います。
特に「大人が介入して意識的に距離を取らせる」(≒関係性を遮断する、というレベルかも)ことが必要な場合が結構あるように思います。
、、、そーじゃない解決方法がなかなか無い、という言い方もできるかもしれません。
解決には「被害側・加害側ともに精神的な成長が必要」ですので、時間がかかる・それぞれ別で支援していく必要があるハズで、、、そのためには「ある程度の距離をおく」ことが、必要かなー、と。

加害行動の子にも支援が必要。

他方、嫌がらせをする子どもに対しても支援が必要な事が多いハズ(そうじゃないケースも多々見ているので、全部そうだとは言いません、、、警察や児童相談所、司法に任せるべき、というケースもあると考えられます)。

どーしても「指導」「罰」「反省」といった対応が中心になりがちで、、、。
「あっちが悪いから指導・こっちはやられたから支援」となってしまうこと多いよーな気がします。が、加害側の子どもは「支援」まで行かなくとも「手助け」を必要とすることが多いように思います。そして、その子が支援が必要な状況にあると思われていない事が多いような気がしています。

愛着の問題だったり家庭内での承認不足(承認欲求)だったり、社会的スキルが足りてなかったりして、、、
こーゆー事って、単なる「悪い子だ」として指導しても変わらないことが多いと思っています。

まとまらない、まとめ。

発達障害のある子どもが育ち、学ぶ時、「周囲の大人たち(保護者・教員などなど)が、その子のために環境を整え、安心して生活・学習できる」ようにした結果、「自分はそうしてもらえなかった」と感じている子からターゲットにされる、、、というのは何ともやるせない気がします。が、、、現実に多々起きているようです。

もしかすると、支援側も気がついていないのかもしれません。被害側・加害側、どちらの状況にも介入できるように「知識として持つ」ことがまず必要で、、、。その上で加害側の子の「環境を整える」ために保護者が中心となって、どう動くべきか(個人的には保護者が中心にならざるを得ないのも、どーなのか?と思うんですが、、、保護者が中心になってくれると、塾・家庭教師の人としては非常に動きやすいですし、情報共有しやすくてありがたいです)、、、。
加害側の保護者がそういった認識を持たない場合、学校は動くことが難しいわけで、、。それがてんねんDr.さんの「関わるのをやめさせたほうがいい」という言葉につながっているような気もして(考えすぎな気もしていますが)、「加害側の子を支援したいけれど、できない」という状況はそれなりの数あるんだろうな、と推察しております。

昔から、支援者や教育関係者は、子どもの「関係性の質」に敏感であることが求められているように思います。
問題のある関係を見逃さないこと・時に断ち切る決断をしなければダメ、、、ってのは大人側の問題で、子どもではどーしようも無いこと、、、という認識は大事かなー、と思います。
「お互い謝ったから、これで仲良く!」では無いなー、と。
「近くに寄るな、ケンカになるだけだから」という昔ながらの説教は、意外と大事な気がします。

まとまらないですが、、、おわり。
この話、教育関係者向けのお話会で、深くお話しよーかなー、と考えておりますm(_ _)m
気になる方は、ご連絡をm(_ _)m

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この記事を書いた人
すぎやま

札幌の家庭教師屋さん・家庭教師がつくる塾BASEの人
名古屋出身・富山大学卒・富山で小学校講師・北海道で公立高校教員・家庭教師をしていたら塾ができていました。

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